思わず泣けてきた「あれから10年……」

monja2005-01-19



当時俺はまだ、
高校受験を控えた中学三年生だった。
10年前の1月17日は、
当時俺が住んでいた町ももちろん揺れた。
とりあえずTVをつけると、最初の一報は「滋賀県で震度5」
だったという事を今でも鮮明に覚えている。
震源地が淡路島北淡町近辺である事、マグニチュードが7を超えた事、
その後に次々に明らかになる地震の詳細……。
当時の俺にとっては、あまりに衝撃的な出来事で
もう学校どころではなかった。
たまたまちょっと風邪気味だった事もあり、
親には「体調がイマイチなので学校休むわ。」と言って
その日は一日中家でTVを見ていたんだっけ……。


その日は、その後も次々にショッキングな映像が報道された。
倒壊した高速道路、いたるところで発生している火災、大きく傾いたビル……。
さすがに中学生の俺だって、あれだけの映像を目の当たりにすれば
相当数の犠牲者が出るだろうと思った。
その後の復旧活動でも、一面の焼け野原になった住宅地、つぶれた住宅、
ずれ上がった活断層(野島断層)の映像、日に日に増え続ける犠牲者の数、
等々がどんどん報道された。
その後の調査で阪神大震災によって奪われた尊い人命は6433人と確定。
そう、あれから10年が経過したんだよなぁ……。


と、まぁ前置きが長くなってしまったが
1月17日から神戸で開催されている「国連防災世界会議」。
去年の年末におきてしまったスマトラ沖大地震のせいで
にわかに世界中から注目を集める国際会議になってしまったのだが、
俺も情報収集のために神戸へやってきた。
とりあえず、予約しているホテルが三ノ宮駅の近くだったので
三ノ宮駅を見下ろせる場所を探したら、
駅の隣にあるSOGOの屋上が見つかった。
そこで予め用意しておいた震災直後の三ノ宮駅周辺の写真や画像を見てみる。
当時倒壊した建物が無くなって新しいビルが建っていたり、
道路が綺麗に整地されていたりして、
あくまでぱっとみた感じでは、随分と復興が進んだように見える。
ただ、改めて震災直後の写真や画像を見てみると、
このSOGOの建物も半々壊くらいしてるし、
ビルの真下の道路は落下物や硝子の破片で通行ができない状態だし、
アーケード街も天井が落ちてつぶれてしまったし、
この辺りも相当の被害が出ていたことがよくわかる。


俺は、別にこの町で生まれ育っているわけではないけれど
やはりTVを通してではなく、実際に現地に行って自分の目で見ると
それなりにいろいろ感慨深いものがあるのは確かだと思う。
SOGOの屋上にいたのはおよそ30分間だったけど、
デジカメで撮影しながら、
今と震災当時の町並みを比較して「へぇ〜」とつぶやいたり、
復興状況の速さに「すげぇ!」と驚いたり、
感極まって涙を流したりと
おそらく第三者から見れば、相当怪しい人物だったんだろうな。(笑)